現代社会において、経済格差が広がっていることは広く認識されています。例えば、富裕層の資産はますます増大し、一方で低所得層の生活は厳しさを増している現状があります。
しかし、驚くべきことに、このような格差の拡大に対して、社会全体が大きな問題意識を持っているとは言い難い状況です。
特に、社会の中で「普通」と認識される層の多くは、自らを格差の下位層にいると自覚していません。
これは一見矛盾しているように思えますが、理由は複数あります。一つは、経済的な格差が目に見えにくくなっている点です。
近年、教育機会が拡大し、高校までは授業料が無償化され、大学進学のハードルも下がりました。大学を卒業することも以前に比べて容易になり、職業選択の幅が広がったと感じられる社会になっています。
また、低賃金であっても生活自体には困らない制度的なセーフティネットが整っているため、低層にいることを自覚しづらいのです。
仕事の面においても、考えることを止めて、会社に従い、一定の成果を出している限り、大きな問題なく社会生活を送れることが、多くの人々にとっての現実です。
これにより、経済的には低層に属していても、日常生活の中で大きな不便を感じることが少なく、結果として格差を意識しづらくなっているのです。
そして、主体的に生きるという視点を持たずに、指示に従い保護される形での生活を送ることに慣れてしまうと、現状に対する不満や違和感が薄れてしまいます。
ようするに、こうした社会構造の中で、真の問題は単なる経済的な格差ではなく、「主体的に生きるか、他者や社会の指示・保護のもとで生きるか」という生き方の選択にあると考えられます。
『7つの習慣』の著書である、フランクリン・コーヴィー博士は、「主体性を発揮すること」が最も重要な習慣として挙げています。
主体性とは、自らの人生に責任を持ち、自らの意思で行動を選択し、その結果に対しても責任を持つことです。
加えて、主体性を発揮するがゆえに他者と摩擦を生むのではなく、自分自身の道に向かって、他者のサポートを得られるように動くことも、主体性を発揮することの重要な行動として示しています。
つまり、主体的に生きる事と、自己中心的なエゴとを明確に区別しています。
しかし、多くの人々は、日々の生活や仕事に追われる中で、この主体性を発揮することが難しいと感じ、他者の指示に従うことで安定を求めてしまいがちです。
主体性を発揮せず、誰かの指示に従い、保護される形で生きることを続けると、人は次第に自分の可能性や成長機会を見失ってしまいます。
この状態は、企業組織の衰退過程でも見られる現象です。『ビジョナリーカンパニー衰退の五段階』の中で、ジム・コリンズは、企業が成功から生まれる傲慢さに陥り、成長の本質的な要素を見失うことで、衰退の道をたどる様子が描かれています。
この中で強調されるのは、組織としての主体性を失い、外部環境や上層部の指示に盲従する形になってしまうと、組織の柔軟性と活力が失われ、やがて企業は没落してしまうということです。
かつて、ビジョナリーカンパニーとして称えられた企業であっても、主体的な組織づくりに失敗すると、そこから衰退への道がはじまることが示されています。
しかし、主体的に生き、自らが自分の道を進む中では、選択を迷い、不安になることもあります。そういった場面でのヒントが、『HARD THINGS』の中にあります。
著者である、起業家ベン・ホロウィッツが語るように、困難な状況に直面した際に、自らの信念をもって行動することの重要性が示されています。
これにより、困難を乗り越え、新たなチャンスを見出す力が生まれます。しかし、主体性を失い、困難な状況に対して他者の指示を待っていると、自己成長の機会を逃してしまいます。
結局のところ、格差社会において重要なのは、単に経済的な豊かさを追求することではなく、自らの人生を自らの手で切り開くという生き方そのものにあります。
多くの人が「自分は格差の低層にいる」という認識を持たないのは、彼らが経済的格差の中にあっても、そこに主体性を発揮して生きる姿勢が欠けているからです。
主体性を持たず、誰かの指示に従い、他者や社会の保護のもとで生き続けることは、表面的には安定をもたらすかもしれませんが、長期的には本当の意味での豊かさや幸せを失うことにつながるのです。
このように見ていくと、格差社会における本当の課題は、経済的な格差の是正だけでなく、人々がどのように生き方を選択するのか、どのように主体性を持って行動するのかにかかっているといえます。
経済的な状況がいかに困難であっても、自らの意志を持って行動する人は、外部の環境に左右されずに真の豊かさを得ることができます。
それこそが、格差社会を超えて人が真に成長し、幸福を手にするための鍵であると言えるでしょう。